2010・修道15回有志暑気払いビアバーティご参加の皆様へ

 庄原地方に大きな被害を齎したゲリラ豪雨、梅雨末期の出来事でした。ことしは4月頃からカープの調子に合わせるがごとく天候不順で、よく雨が降りました。そして梅雨が明けたと思ったら、今度は連日35度を超すまさに“激暑”です。

 そんな中、我が修道同期は7月30日夕、京橋河畔のRCC文化センター一階フットパスに集いました。その数49名。実は出席の返信を頂いたのは52名でした。ところが何故か3名、姿をお見せになりませんでした。出席された方の中にも28日に「明日のパーティを楽しみにしている」とのメールを貰いました。念のため「30日の金曜日ですよ」と打ち返したところ、「有難う、明日行くところだった!」と。まあ、斯く言う私もいつも曜日など間違えますから不問に付しましょう。

 さて、この会も回を重ね参加者も年々増えており、今年の初参加は久保田正君と島井基之君の二人でした。遠来の、東京から久保田君には挨拶と乾杯の音頭を取ってもらいました。岡崎求平君が主治医だったとのこと、すると中本勝久君がマイクの前に立ち「わしも前立腺を患った時には中電病院などに話をしてくれ求平には大変お世話になった」と。持つべきは良き友ですね。マイクの前での発言は酔っぱらって語らいの輪があちこちに出来る前に全部済まそうということで貫名徹君、土井和士君、宮本寛治君…と出てもらいましたが、何といっても今回のハイライトは光村哲也君の出席はがきの添え書き「7月23日、山中、谷口、俵と富士山に挑戦。30日にはその成果発表!!」でした。光村君と谷口正浩君から七合目の山小屋へ前泊、抱き合って寝たこと等など、いろいろおもしろい話がありました。さて翌朝頂上に立ったのは…?俵正道君はその日の朝、五合目から一気に登ったそうで、やはり地元富士市在住者は強い。俵君からは「まだ当分あちらにいますので是非チャレンジしてください、お世話します」とのことでした。そして「一曲歌わせてくれ」とマイクの前に立ったのは中下司君。今民謡を習っているそうで、音戸の舟歌(でしたよね?)を朗々と歌い上げました。

 例年のごとくあちこちで旧交を温める輪ができ、瞬く間にお開きの時間になりました。締めの「フレーフレー」はやはりこの方、久々出席の藤原正孝君「声が出るかの…?」いやいや見事なリードでした。そして、皆で肩を組み「安芸の小富士…」の大合唱で真夏の一夜の語らいの場を閉じました。

 五木寛之が日刊現代に一回の休載もなく続けているコラム「流れゆく日々」があります。その中で登山について「登山とは頂上を極めるだけでなく、下山することを含めていう。登るときは周りを見る余裕もないが、下りるときは小鳥のさえずりに耳を澄まし、登山道脇の野の草花を愛で、時に腰を降ろし遠くに目を遣り遥かな町、海を見る。下りの人生はもう登山口近くまで来ているが、ゆっくりと楽しもう」と。

 想い出写真同封しました。なお、当日の写真300枚以上撮っており、それを収めたDVD数枚あります。ご希望の方はご連絡ください。差し上げます。

    2010年8月10日 
                                                        世話係:三宅 恭次

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