2011年 修道15回有志花見会ご参集の皆さまへ

 4月2日、天気は申し分なし!ただ、今年は天候不順で良い具合に花が咲いているかどうか、これだけが気がかりでした。ところが、何ということか、我々の花見会場の正面の一木だけが見事満開!(見た目です、実際は4、5分咲)我々を歓迎してくれました。決して、温風機で風を送って咲かせた訳ではありません。

 さて、我が修道15回の花見会、今年も恩師、街道、吉崎両先生をお迎えして34名で行いました。

 初めにちょっとしたサプライズを…、実は光村君の誕生日なので花束を用意、前日の4月1日に誕生日を迎え皆に追いついたばかりの平野君から渡してもらいました。でもこれってわずか30数名の同期の集まりで丸々一周違いの友が集うとは、珍しいと思いません?光村君「孫たちを見ていると、一歳違うと随分成長が違うなと思いますが、この年になると一緒ですね。でもこんな大勢に誕生日を祝って頂くのは初めてのこと、有難う!」

 今回初参加はお二人、小田敏明君は4年前まで今回の震災で甚大な被害が出た宮城県名取市に住んでいたそうです。「いろいろ情報を取っていますが、本当に心が痛みます。逃げようにも体の自由が利かず犠牲になった人も多いようです」彼の話に皆、しーんとなり聞き入りました。もう一人は大原詔久君、高校三年の秋まで一緒でしたが、肺結核を患い二年遅れの卒業です。ただ、本人の言によりますと卒業アルバムには載っているそうです。恐らく春ころに撮ったのであろう、と。

 恩師の挨拶はまず、吉崎先生。女学院と一緒に修学旅行に行った期が同窓会を開いたという新聞記事(昭和59年)のコピーや修道の最新情報を先生自ら袋詰めして持ってきていただき“解説”して頂きました。尚、この合同修学旅行の一回目が吉崎先生らの期とか、12回生が最後ですが、その後止めになったことについて先生はその理由は「知らない」そうです。乾杯の音頭は街道先生に取って頂きました。そうそう先生から賀茂泉を2本頂きました。震災の2週間くらい前に茨城県(流石、国語の先生です。これは「いばらぎ」ではありません、「いばらき」ですぞ、と)の海岸線沿いから千葉県の房総半島を回られたそうです、今そこがどうなっているかと…。宴半ば、丁度RCC文化センターの会議室で取材を受けていた市長選に立候補してる大原邦夫氏(詔久君の弟、修道の後輩)が降りて来、同窓のよしみということでひと言挨拶を貰いました。すると、やおら山中君がマイクを取り「市政を停滞させた市長の後継、40年振りに故郷に帰って来た高級官僚、どれもダメ、今回は大原です!」と、期せずして大きな拍手!!
 しかし、大原邦夫君は残念な結果となりました。でも、これから彼は別の場で活躍してくれるものと期待しています。

 宴も終り近づいて、来るか来ぬかと気を揉んでいた岡崎求平先生が左手を釣って登場、昨日から周南市の離島、大津島診療所で診察を始めているとのこと。メディアが大勢取材に来たそうです。来年でしたかパリジェンヌの看護師が来るので、魚も美味しいしみんなで来いよ、と言い残し、浜松ナンバーで身障者マークの付いたアウディを自ら運転、奥さんとともに疾風の如く帰って行きました。

 最後に恩師の訃報を吉崎先生から「能宗先生が亡くなられたそうです。実は河野富士雄先生から聞きましたが、詳しいことは分かりません。奥さんを亡くされてから教員との交流も一切しておられませんでしたから…」御冥福をお祈りいたします。

 今回は時期が時期だけに、フレーフレー修道!や校歌「安芸の小富士…」もなしで、“満開”の桜をバックに記念撮影してお開きに。夏のビアパーティでまたお会いしましょう。   

 最後に一言、「修道同窓会100年記念」幹事年の55回生をしっかりサポートしてやりましょう!!

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