2010年春・修道15回有志花見会ご参集の皆様へ
 3月28日、日曜日のお昼、かって毎年、加藤泰豊君がセッティングしてくれていた広島別院前の花見、酒盛り場所横を自転車で通りました。風強く、時折雨も降る空模様、さすがに花見客はありませんでした。
 さて、我が15回有志の花見会はその前日27日(土)、前の日の強風が嘘のように止み、青空も広がり、桜は3、4分咲でやや寒くはありましたが、絶好の花見日和!京橋河畔のRCC文化センター一階フットパスで同期37名、それに街道、吉崎両恩師をゲストにお迎えして行いました。
 ここ数年、春、夏2回、有志の会を催していますが、今回初参加は長いサラリーマン生活に終止符を打ちふるさとに帰ってきた福原啓一君、八木一雄君、40年振りのふるさと定住とか…。帰りなん、いざ田園まさにあれなんとす、なんぞ帰らざる(陶淵明)、また望郷の念を抱きつつ…の、ふるさとは遠きにありて思うものよしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや(室生犀星)、といったのを思い出しました。あまり書くと街道先生からレッドカードがでそうなので、止めます。それに遠方から不自由な体を押して毎年参加して呉れている岡崎求平君からの「ぜひ出席を!」に応えてくれた山本公総君、また近くで和楽器屋を営む山代徹郎君を柿原敏明君が連れて来てくれました。
 遠方からの参加者は静岡の岡崎君のほか、去年の春、夏、今回と韓国ソウルから帰って来てくれる畑口隆昭君。世良伸武、辻上志廣、吉田幸弘君は大阪からの参加でした。
 11時スタートと言いながら30〜40分遅れになるのが、このインフォーマルな会の良いところ、まあ全員が揃ったところで、岡崎君の音頭で乾杯!その際、配られた「我ら前期高齢者の同期生よ男の為の養生と薬を」の説明付きでした。これって男の為、ということで我ら年代になると結構個人差が付いていますよね。ペーパーの@〜Dをよく読んで、自分に合った処方をしてもらってください。
 両先生にも挨拶を頂きました。街道先生、後期高齢者入りされたとか、同窓会名簿を見ますと昭和31年に修道学園に奉職、とあります。計算すると合いますね、でも我が世代が中学生の頃は若き熱血教師、殴られた人も何人かいるようです。私は高校からですが、古文に出会ったとき「何という外国語!!」全く苦手になり授業中はできるだけ先生と顔を合わせないように匍匐(ほふく)後退状態でした。でも今はもっと勉強していれば老後が楽しかったろうにと後悔しています。吉崎先生、前日野村カープが開幕初戦をマエケンで勝ったとあって、ご機嫌でした。先生の、コピー機が“働きすぎる”と止まり、ウオームアップ状態になりクールダウンする、人間はこれが中々出来ない、とのお話し、全くその通りですね。この後は例によって、あちこちで、再会を喜び、話に花を咲かせ、時計は半世紀前に逆回転し、先生と生徒としての過ぎし日のことを思い起こしていました。平野正彦君のふるさと矢野の、あれなんと言いましたか、手拍子、これも50〜60年前がぎっしり詰まっていました。辻上君の「ぜひいつまでも続けてほしい」との中締めの挨拶、そして最後は修道吹奏楽の草創期メンバーだった福原君の音頭で「安芸の小富士」を皆で肩組み合唱し、お開になりました。また、夏にお会いしましょう!
 2010年3月31日

  参加者:岡崎求平 加川征司 柿原敏明 勝野井泰洋 北村洋 国光栄介 桑原稔和 幸田一水 合田一基 定森義雄 世良伸武 高原宏之 竹中敬宗 田中和彦 谷口正浩 辻上志廣 土本重雄 寺井久信 土井和士 中下司 中島征治 西尾守弘 野間昇司 畑口隆昭 春田通一 平野正彦 福原啓一 船本聡武 光村哲也 三宅恭次 宮本寛治 八木一雄 山代徹郎 山中好文 山本公総 山根康弘 吉田幸弘   恩 師:街道武司先生  吉崎冨士雄先生
                                                                                  以 上
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